勝手なことを考えて、

きままに、発言してみました。

簡語録

偽善者

 

自分がいかに偽善者なのか、自分自身が良く知っている。

いかに他者から「あなたは信頼できる」「あなたは高潔な人だ」と言われても…。

人によっては自分自身に偽善という布を被せている人もいる。

自分が偽善者であることを偽善しているのである。

 

しかし偽善者は、神仏の前でも偽善であり続けることはできない。

なぜだろう。

神仏は、真正面から「正」を伝えているからである。

神仏それ自体に偽善はあり得ないからである。

キリスト教であれば「博愛」であり、仏教では「慈悲」である。儒教では「徳」である。

これらを否定することは不可能であり、否定すれば自ら「悪」の看板を掲げることになる。

 

神仏の存在の大いなる意義は、まさにここにある。

いかなる偽善者であっても、神仏の前では無力なのである。

偽善者が偽善であるとこを自覚すればするほど、神仏の絶対性は高まるのである。

 

   ★

 

 

果て

地球の果てはどこにあるの?

丸いので果てはありません。

 

宇宙の果てはどこにあるの?

無限なので果てはありません。

 

私の果てはどこにあるの?

死ぬまで果てはありません。

  

 

   ★

 

 

平和の門

 

世界で戦争は止まない。絶対に止まない。

 

家族という重しがある限り、民族という鎖がある限り、国家という城壁がある限り、戦争は絶対に止まない。

 

人類が欲望という尽きぬ快楽を求め、人類が名誉という化粧を好み、人類が繁栄という独善を喜ぶ限り、戦争は絶対に止まない。

 

平和への道は、自己を知ることというが、自己を知っても自我から抜け出すことはできない。平和への道は、他者を知ることというが、自己と他者を分け隔て比較することが諍いのはじめである。

 

自己と他者を分けてはならない。自己と他者を比較してはならない。

他者を自己と認識すること。自己と他者とのつながりを意識すること。

自己と他者が混在となり、その差も分からず、その距離も感じず、ただ我らとして一体になること。

 

他者を認識しろ。

他者を意識しろ。

他者と接続しろ。

他者と同化しろ。

 

そのとき、平和の門が開き、戦争が立ち止まるかもしれない。

 

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いばる人。

 

小さな役職、小さな責任、小さな使命、小さな権力…。

こうしたものを“器の小さな人”に持たせると危ない。

とたんに威張りだす。

 

そうした人は、自分の“器が大きくなった”と勘違いしている。

小さな器に、目一杯のモノを詰め込むので、

何かが起きると小さな器から“怒り”としてあふれ出すのである。

 

とくに厄介なのは、自分より弱者に対して強硬に出る人である。

弱者とは、まだ経験が足りない、情報が足りない、実力が足りない、

そうした未熟な人たちに対して高圧的に振舞う。

 

本来、リーダーはそうした弱者を強者にするために導くのが役割である。

しかし器の小さな人は、弱者だと思う相手に対して、自己顕示欲が前面に出てしまう。

 

たとえ普段は静かにしていても、ちょっとしたことで権威を振りかざす。

わめき、さわぎ、怒りを見せる。それは同時に自己保身に走っている姿でもある。

 

これが器の小さな人の特性である。

 

ではこうした事象にどう対処したら良いのだろうか。

まずは未然に防ぐことである。

 

器の小さな人に、責任を持たせてはいけない。

ただし器の小さな人でも、将来、その器が大きくなるのか見定める必要がある。

責任を持たせたことで、器が大きくなる人もいるのである。

いわゆる「役職が人を育てる」というものである。

 

問題は器が小さいままの人である。

これへの対処方法が問題である。

 

とくに仕事ができ、人望もあるのに、器の小さい人にこそ問題が起きる。

器とは、その人物の頭脳でも、人格でもないのである。

 

器とは、中国の儒教的には「徳」であり、インドの仏教的には「慈悲」であり、キリスト教では「自己犠牲」である。それが事実だとしても、「徳」「慈愛」「自己犠牲」ともに、テストでは評価できない。その大きさを計量することはできない。

 

器とは、他を知りうる「感知能力」と、他を受け入れられる「受託能力」である。

他とは、人であり、事象であり、社会である。

 

それらを感知し、それらを受け入れる能力が必要である。

この能力を身につけている人は、器という概念がなく、つまり器に大きさがないのである。

 

「器のない人」が「大きな器のある人」である。

 

一見、未熟な若い人であったとしても、自分自身が努力し、他者に心を配り、取り巻く環境に注意を払い、その変化に敏感であり、それらを受け入れられる人は、つねに大きく成長するのです。

何が大きく成長するのか?

それは魂である。器とは、魂そのものなのだ。

 

 

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平和主義者

 

平和主義者になるな!

平和を求めるなら、闘士とならなければなりません。

 

平和とは、自己の内部にある悪との戦いです。

平和とは、結果ではなく過程です。

 

自己の悪と対峙し、悪を叩き、悪を追い出す戦いをしなければなりません。

時には命を賭けた、まさに熾烈な戦いです。

 

自己の内部に潜む悪との戦いを止めてはなりません。

悪との戦いを止めた時は、敗北の時です。

 

自己の悪とは、

恨(うら)みであり、

嫉(そね)みであり、

妬(ねた)みであり、

謗(そし)りであり、

驕(おご)りであり、

自他への憎しみであり、

それらから生まれるありとあわゆる悲しみや怒りです。

自己の悪に無関心であれば、それらは際限なく増殖を続けます。

 

自己の悪とは、自己の人間性の喪失です。

自己の脆弱性と戦わなければ、自己は失われるのです。

 

だからこそ、自己に対して平和主義者になってはならないのです。

日々刻々、闘士として戦うのです。

 

   ~

 

平和主義者とは、時に自己にも他者にも無関心となる。

平和主義者とは、戦いを恐れ、戦いを回避し、暗い防空壕に身を隠す。

 

平和主義者とは、自己の弱さをひた隠し、他者の強さを忌み嫌う。

平和主義者とは、夢想と幻想に遊び、現実を批判し憂うだけ。

 

平和主義者とは、自己責任も負わず、他者責任も問わない。

平和主義者とは、へらへらと笑い、ひそひそと話す。

 

平和主義者とは、目前で命が奪われても、風船のような軽い平和を歌うだけ。

平和主義者とは、人々が悲鳴をあげていても、飴のような甘い詩を朗読するだけ。

 

平和主義者とは、安易な信念という旗を掲げることが得意である。

平和主義者とは、勇気と自信のないなまけものである。

 

真の平和主義者とは、挑戦者であり、冒険家であり、開拓者であり、実践家であり、行動派であり、指導者であり、勇者であり、戦士であり、闘士であり、あらゆる人々からの称賛に値する、ひとりの人なのである。

 

   ★

 

そんなもの

 

自分の才能を埋もらせてはいませんか?

自分の可能性を閉じてはいませんか?

自分を掘り起こそう!

自分を解き放そう!

才能という種に日の光を当てれば芽を出します。

小鳥を籠から出せば大空に羽ばたきます。

自分とは、そんなものです。

   ★


行け

自室に居るな! 居間に行きなさい!

自宅に居るな! 野外に行きなさい!

自国に居るな! 海外に行きなさい!

人は、すでに地球を離れ宇宙に飛び出しています

人は、いつかこの世を離れあの世に戻るのです。

ならば、今すぐに、

自分を束縛するありもしない鎖を断ち切りなさい!

自分を許しなさい!

 

自分を開放しなさい!

 

   ★


今日

 

昨日を後悔するな。

明日の後悔を、今日、防ぐのだ。

 

明日を期待するな。

昨日の期待を、今日、紡ぐのだ。

 

   ★

 

自分

自分の中に、有るものは使いなさい!

自分の中に、無いものは作りなさい!

 

自分を100%、使い切りなさい!

自分を100%、作り出しなさい!

 

100%だと思っても、それは30%程度です!

その30%は辛苦ですが、後の70%は悦楽なのです!

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卑怯

あなたは卑怯です。

それを知っているのはあなただけです。

 

あなたは憶病です。

それを知っているのはあなただけです。

 

あなたは傲慢です。

それを知っているのはあなただけです。

 

あなたは強欲です。

それを知っているのはあなただけです。

 

あなたを知っているあなた。それは素晴らしいことです。

だからこそ、あなたは成長ができ、幸福になれるのです。

 

   ★

 

不満

両親に不満を持つ子は、まだ子供のままです。

大人ではありません。

 

友人に不満を持つ人は、まだ知人なのです。

友人とは呼べません。


上司に不満を持つ部下は、まだ部下のままです。
リーダーになれません。

社会に不満を持つ人は、まだ社会人ではありません。
社会の改革はできません。

何かに不満を持つという評論家は早く卒業しましょう。

 

   ★

苦労

 

その「苦労」は、お金を出してまで買う必要はない。

 

ただ「苦労」のない人生には学びがない。

 

また「無苦」が幸福であるとも限らない。

 

   ★

 

メッセージ

 

人類史という過去は、
あなたの未来へのメッセージです。

 

   ★

 

合わせられる

 

どんな人々にも合わせられる。

いかなる企業にも合わせられる。

最果ての土地にも合わせられる。

しかし、どこにおいても、つまらぬ違和感がつきまとう。

 

   ★

 

自意識

 

自分の、今の意識が、

自分の、今の状態を、

天国にもし、地獄にもする。

 

   ★

 

薄い自分

 

薄っぺらい自信は嫌なほどあるが、真の自信はない。

そんな人間は、薄っぺらい知識を振り回して、小さな世界で偉ぶる。

知らない内に、そんな人間になっちまった。

 

   ★

 

決別

 

今の己と決別しろ!飛び立つのだ!明日の己と出会うのだ!明日を掴みたいが、両手がふさがっている。ならば、躊躇せず、その手を開け!手を広げたいのであれば、心を開け!

 

   ★

 

悲嘆

 

優しい愛情と、深い慈悲のある者のみが、強く成長する。

 

そして世への悲嘆は、その愛情と慈悲のある者のみが、感じ得るのだ。

 

   ★

 

賛成

 

安易に“賛成”と言ってしまう。

利口な日本人はみんなわかっている。それがダメなことを。

しかし世論という社会のコンセンサスに負け、自らを誤魔化す。

 

一旦、世論が逆に傾くと、自分を欺いていた反動が加わり、

一気に、情緒的に反対側の船に乗り込む。

 

そして初めから、それに“反対”であったかのように振る舞う。

実に卑怯である。

 

   ★

 

災害

 

これを天罰と言うは嘘。

神仏は、自然の法則から逸脱して、

いたずらに生命を毀損はしないのだ。

 

   ★

 

苦労

 

勉強、練習、訓練…、ここに目標があれば楽しいが、

目標がなければ苦労となる。

 

仕事、家事、雑用…、ここに意義があれば楽しいが、

意義がなければ苦労となる。

 

   ★

 

不幸

 

損得の損が不幸ではない。

また得が幸福ではない。

損得勘定をし、一気一憂している状態が不幸である。

 

   ★

 

指針

 

戒めるべきは、短気。

必要なのは、忍耐。

持ちたいのは、寛容。

与えたいのは、慈愛。

 

   ★

 

自己

 

自己利益より、自己実現を!

 

自己中心より、自己表現を!

 

自己満足より、自己成長を!

 

   ★

 

結果と原因

 

結果から原因を見て、その原因に立ち返ること。

結果を振り返っても、その結果は変わらない。

結果の世界には、善し悪し、勝ち負けがあるが、

しかし原因の世界には、善しかなく、勝ちしかない。

結果はゴミであり、原因はエネルギーであり生命なのである。

 

   ★

 

 

愛はいただくのではなく、差し上げるのです。

 

   ★

 

好き嫌い

 

好きな動物は雀。嫌いな動物はゴキブリ。

好きな言葉は必要とされることを必要とする。嫌いな言葉は小役人。

つまり雀のように小さな存在であっても愛されるようになりたい。

逆にゴキブリのような小役人は、私の最も嫌いとする。

 

   ★

 

怒り

 

怒りは何も生まない。ただ失うだけである。

 

   ★

 

 

夢は見るのではなく、夢は創るのです。

 

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絶対

 

「絶対だ!」と確信していた青春の夢、願い、希望…。

それらは危ういもので、泡沫なものだと言うこと、どこかで知っていた。

 

けれど「絶対だ!」と叫ばざるを得ない、それが青春の美しさであり、強さであり、悲しさである。

簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸 簡憲幸